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宮田シロクはこんな人です

シロク

まいど、宮田シロクです。

 

ちょっと自分語りをしてみます。

 

「うちは貧乏だから」と言われ続けて育った子供時代

 

父は自営業、母は専業主婦、弟二人の長子として生まれました。

なかなかかわいい赤ちゃんでしょ?

 

絵描きになりたかった小学校時代

絵を描くのが大好きで、幼稚園の頃は絵画コンクールに入賞しまくってたんですよ、こう見えて。

でも絵描きになりたいと言うと「稼げないから」とまわりの大人たちによく言われたのは覚えています。

 

子供の頃の記憶はよく電気やガスが止まっていたことと、「うちは貧乏だから」と言われ続けていたこと。

「水がないと人間は生きていけないから水道はお金を払わなくてもなかなか止まらない」と母が言っていたのも覚えています。

でもこの頃は母はまだ専業主婦で、父の仕事もうまくいっていた(かのようにみえていた)ようです。

父は建設業なのですが、どこかの営業さんや会社の番頭さんを招いてごちそうするということもありました。まだ家族旅行や父の会社の慰安旅行にも行っていた記憶があります。

 

人生がリセットされた中学校時代

バブル崩壊のあおりも受けてか、元々遊び人の父がお金を稼いでもそれ以上に使うこともあり母が働きはじめました。もしかすると中学校より前からかもしれませんがよく覚えていません。

その頃くらいから父の母に対するDVを見るようになりました。

母を殴る怒鳴り声を今も鮮明に覚えています。

 

父は仕事はよくする人でしたのであまり家にはいませんでした。母は昼も夜も働き、両親の代わりに二人の弟たちの面倒を見る日々。

中学校に上がって体操服のゼッケンを自分でミシンで縫い付けたのですがなかなかうまくいかず、

「よその家はお母さんがやってくれるのかな、なんで私は自分でこんなことしなければいけないんだろう」

と泣きべそをかいた夜もありました。

家中の家具に差押えの札が貼られて、父が「絶対に玄関を開けるな」とどこかに出かけたのもこの頃か小学校高学年くらいの頃。おそらくお金の工面をしに行ったのでしょう、借金取りが「開けろ」と玄関のドアを叩く音。

ほどなくして両親は離婚。この頃のホロスコープを見ると、人生が根底から覆される星回りが示されていました

離婚のショックはありませんでした。むしろ何故母が父となかなか別れないのかずっと疑問だったくらいです。

ただ父は私や弟たちには優しかったので、母が「あんたお母さんとこ来るやろ」と言った時に本当は迷っていたことは事実です。

当時は母子家庭の手当てもまだ今より手厚い頃でしたが、弟がさらに二人もいるため高校では私は奨学金をふたつ借りることになりました。

 

全てが憎かった高校時代

「絵描きになるのに数学なんていらないのにな~」と思いながら高校に通う日々。表面上友達はいましたし根暗なタイプでもなかったのですが、なんとなく馴染めず休みがちに。

国語の授業をあと1回サボると出席日数が足りず留年でした。

しかしいざ進学が近づいた頃、「お金がないから大学には行かせられない」という母の一言を聞きました。

まわりの友達は大学に行くのに。大学に行かない子はちゃんと就職するのに。なんで今更そんなこと言うの。

働いているうえにまだまだ子供だった弟たちに手を取られていた母は私のことはその一言で済ませました。

結局何も決まらず卒業。

奨学金は「高校くらいはお母さんが出すから」と母が返済してくれましたが、滞納通知も届く、親戚が「お金をいつになったら返すの」と怒りに来たことも覚えています。

今この記事を書いていて思い出しましたが、子供の頃の写真であまり笑っているものがないんですよね。笑っていてもなんだか引きつっている。

 

大人になっても何にもなれなかった

 

職なし、金なし、男なし、さらに家なしの20代

高校卒業後、新聞広告で見た芸大の通信コースに入学するも学費を払うためバイトに明け暮れ、働くと勉強ができずに休学、復学を繰り返しあえなく退学。

日本の新卒至上主義なんて何もわからず、今よりインターネットも普及しておらず、絵描きになれないのならデザインの仕事がしたいと思い様々な会社の面接に行っても不採用。今ならそれも当然だとわかります。

大学できちんとした勉強をしたわけでもなく、大学に求人を出すことがあることを知っていても通信コースの私はその情報を知る手立てもなく、結局採用されたのはコンピュータ関係の派遣社員でした。

ただこの頃に学んだコンピュータの基礎が今もものすごく役に立っています。おかげでブログも抵抗なくはじめられたしね。

生まれてからずっと住んでいた家を父が借金の抵当に入れており、返済できず家に住めなくなったのは20代前半でした。借金のカタに家を取られるというやつです。

母によく言われていたのは「就職しなさい」「結婚は諦めてるんでしょ」。

就職なんてどうやってすればいいか教えてくれなかったのになんでそんなこと言うの?結婚しても不幸になるだけと身を持って教えてくれたのになんでそんなこと言うの?

そんな気持ちしかなかった20代でした。

 

人生を変えた星占いとの出会い

 

別のコンピュータ関係の仕事をしていた頃、偶然見かけた「西洋占星術講座」の広告。

「え、占いって勉強できるんだ?」とびっくりしました。

占いはまあ嫌いではありませんでしたが、雑誌の12星座占いを読む程度で占いに行ったことなんて全くない。でも気になる。

値段もそんなに高くない。習い事だし、別にすぐやめてもいいか。と思い気軽な気持ちではじめたのですが、すぐにその魅力に取りつかれました。この頃すでに25才。

その先生の元で、転職して講座の日程が合わなくなるまでの丸3年ほどずっと教えてもらっていました。

「あんたは金星にだいぶ助けられてるね」と言った先生の言葉が忘れられません。え、私これでも助けられてたんだ…みたいな笑

その後は別の先生の元で丸2年間教わり、今は古い星占いの文献を買い求める毎日です。

 

自分のことをずっと不幸だと思っていた、けど違った

 

星占いを学び出して気づいたことがあります。

私、ずっと自分のことを不幸だと思っていたんです。まあ無理もありません。もちろんもっと大変な思いをしてきた方も大勢いらっしゃるはずですが、何も知らず自分の世界で生きていた私はそう思い込んでいたのです。

でもホロスコープには違う人生が示されていました。

いえ、違う人生ではなく、それまで自分の幸運や強みに気づいていなかったのです。

コンピュータ関係の仕事はストレスフルで胃潰瘍寸前や頭皮アトピーになったことと、アラサーと呼ばれる年齢になっていたこともあり、ホロスコープを元に自分の運勢を占い、

「この時期なら必ずいい仕事が見つかる!」と退職。

そして間髪入れずに念願の美容部員に転身。

就職したブランドはブラックでしたが笑、百貨店での仕事は楽しい毎日でした。

きれいなものやかわいいものに囲まれる毎日。美意識の高い女性だけの環境。尊敬できる人たちとの出会い。

バイト以下の待遇のためほどなくして退職しましたが、自分の占い結果をもとに行動したこともあり、今でもターニングポイントになった時期です。

 

生まれて初めて本当の正社員になった30才

なんだか接客にも疲れたし、もう近所で他人と関わらず働きたいな…と思い派遣で入ったのは小規模の町工場でした。

占いの勉強はずっと独学で続けていましたが、占い師になるつもりもなく、なんとなく30才にもなってしまったし、いつまでも派遣でいるわけにもいかないしこれからどうしよう…と思っていた頃、正社員登用のお話をいただきました。

町工場といえども親会社が大手だったこともあり、専務が私を買ってくれていたようです。

あー、私もここで生きていくんだな~。

 

会社辞めたい事件

その会社で今の夫とも出会い、結婚を前提におつきあいしていた頃、全社あげての社内改善チームのリーダーに任命されました。期間は半年。

正直全然やりたくない笑

年功序列男尊女卑という古い体制の会社だったため、どんなにがんばっても女性が出世することは望まれなかったからです。

しかしサラリーマンは従うか辞めるかの世界、社員登用2年目で様々な方の協力もありなんとかやりきりました。

しかしボーナスの評価はB。Bが不満だったわけではなく、問題はどんなに仕事をしなくてもCの最低評価がつかないその評価制度にありました。

なんでこんなにやってあいつらと同じ評価なわけ??もう私仕事しない。

そう思い次の半期では指示されたことにも従わないという不良社員に笑

会議も出ない、私の仕事じゃないや、と思うと書類も出さない、自分のルーチンだけはやっていたためかそれでも評価はB。しかもそれまでは二人でやっていた部署を一人で回しているのに。

仕事をやってもやらなくてもBならやらなくていいじゃん、どうせ男がA評価持っていくんだし。

 

結婚、占い師に

 

そもそも何故私が他人に評価されなきゃいけないのか?

 

この疑問が全てになりました。

何故自分の人生なのに行きたい所に行きたい時に行けないのか?

何故自分の人生なのに好きなことを好きな時にできないのか?

 

このまま会社にはいられない。でも結婚もしたし、もし子供が産まれたならお金がいる。

母がずっと仕事で家にいなかった分、自分の子供に寂しい思いはさせたくない。夫はシフト制の勤務で夜勤もあるし、別に夫に養ってほしいなんて思わないし、もうこうなったら自分で稼ぐしかない。

 

それまでも口コミのみで知人の知人などを占っていたこともあり、占い師を選んだのは自然な流れでした。

 

実は私のホロスコープには仕事に生きる、でも平凡に会社員で暮らすのではなく、組織を離れたところにこそ幸運があるということが示されています。

当然そのことはずっと昔から知っていました。でもどこかでブロックしていたのです。

 

そんなの無理に決まってる、今のままが安定してるし、わざわざ茨の道を選ぶこともない、と。

 

星占いの世界ではホロスコープに示されていないことは人生には起こり得ないと言われています。

どこの誰の言葉かわからないけど、ずいぶんと自信たっぷりだな〜とか思っていました。

でも今ならわかります。無理して自分のホロスコープにそぐわない人生を送っていると、どこかで必ず星が教えてくれるのです。

それはあなたの人生ではない、あなたはもっと幸せになるべきだ、と。

 

自分で自分の人生を支配する

 

誓って言いますが、別に私は不幸自慢がしたかったわけではありません。今は幸せですし、実際他に書くことがなかったのです笑

私は占い師になりましたが、集客のためのブログを書くうちにいろいろなことを学びました。

ブログは誰にでもできるということ、自分の個性がお金になる時代だということ、そして個性がない人なんてこの世にはいないということ。

ブログで自分の人生を表現することについても少しずつこれから書いていきたいと思います。

 

大人になっても何にもなれなかったあなたへ

 

占いに来るお客様の8割は「彼の気持ちが知りたいんです」や「既婚者を好きになってしまいました」といった恋愛、不倫の相談です。

しかし占いはそれだけのものではありません。自分のホロスコープを見るとあなたの隠れた才能や資質がわかります。星の動きを読むことでその時に最適な行動がとれるので自分のポテンシャルを最大限に活かせます。

私は大人になっても何にもなれませんでした。でも今は違います。うまく言葉にできなくても、「これが私」と胸を張って言えます。星の動きを読んで人生を思う方向に進めることができるからです。

星占いは古代では国家や王族の運命を占うものでした。時代が進み、今は個人の運勢を占うものになっています。あなたという人生の王様が自分という国を支配するための最高のツールなのです。何にもなれないなんてことはありません、自分が人生の王様だということを忘れているだけなのです。さっさと思い出せ!

 

一人でも多くの方が「これが私」と胸を張って言えるようになりますように。そのための星占いです。

星の加護とあなたの人生にキスを。

愛をこめて。シロクでした!

これまでいただいた占いのご感想はこちらから。

 

9 Comments

【星占いって当たるの?】予約殺到の占い師宮田シロクさんに占ってもらった! | D-Pekoo

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